「空海」








「大師は今も在しまします」







高野の峯の間に。



蓮の花が咲いたような。





寺が並ぶ。













それを、高野山と言う。














 



  








空に近い場所。















誰しも、

生きてゆくうえで、
「人に疲れ、人生に疲れ」と







つぶやいて何かを求める。






何か、あるかと思い立ち旅に向かう。














静寂。摂氏23度の夏。









包まれる空気

大日如来と金剛界の四仏に出会い
真言密教の根本道場であるこの塔を訪れた。



 

宇宙に、届くかもしれないと。


空を見上げた。








本当にそう感じるのは、


「今も空海がここにいらっしゃって、
平和を、祈り続けてくださっている」


と言う謂れを聞いたからかもしれない。











 





















高野の町に。

  

 







多くの人がたどり着き。



 


癒されて


  

気がついてゆく。








 







観光地ではなく。

「何かをもらう場所なのだ」と。


そして、



何をもらって帰ろうと、一生懸命、考え始める。







行く人、帰る人同じ。

でも、心の中に違う自分を見つけて。


山を下る。







もらった物がわからずに

流れ行く水に
後ろ髪を引かれながら。




 




「もう帰るのかい」と。





見送った狐。

「もらったものなど何も思いつかないまま、

町へ戻れば全て忘れてしまうのか」と。

















忘れるはずもなく、夜に思い出す。


愚かさ、寂しさ、刹那さ。

そして、生きてゆく怖さ。




ああ、

もらったのではなく、捨てにいったのだ。







  



洗われた心。

無心。


生まれたときは人は皆「無」なのだ。

いらないものを捨てて無に戻る気持ち。









「生きてゆくことは生かされること」

大師の声が、たしかに聞こえる。









高野の峯の間に

「大師は今も在しまします」













高野:kabun:CANON 300D





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弘法大師 空海

大師は東寺や高野山において僧侶の養成、
四国満濃池の施工、
など多彩な才能を発揮され、

835年三月二十一日、
御歳六十二歳を以て高野山に「入定」されました。



入定:禅定の境地にはいること。